国際協力講演会を開催しました
11月16日は国連が定めた「国際寛容デー」です。「寛容」とは、「世界の文化の豊かな多様性、表現方法、人間としてのあり方を尊重し、受け入れ、感謝することである」と定義されています。異なる文化の中にも調和を見出し、団結していく大切さを考える国際デーによせて、WFWP日本支部・大阪第19連合会が2021年11月14日に国際協力講演会を開催しました。岸和田市立浪切ホールに72名が集い、さらに来賓5名が参加しました。

第1部 講演:久保田弘信氏
第1部はフォトジャーナリストの久保田弘信氏が、「メディアが伝えないアフガニスタン」と題して講演しました。久保田氏は1997年からアフガニスタンを取材し、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝える活動をしています。
久保田氏は、ある難民キャンプで産まれた赤ちゃんが医療の手が届かずに亡くなるということを目の当たりにし、その時「何か手助けをしなければ」という切実な思いが、支援活動に繋がっていると話しました。
そして、危険と隣り合わせの中、生活を共にすることでアフガニスタンの人々の心の中に入り込み、信頼関係を築きました。素のままの難民の表情、心優しい人々との触れ合いの様子、子供達のキラキラした輝く瞳、人懐っこい笑顔など、ニュースでは見られない日常生活の様子、悲惨な状況下にあってもたくましく助け合って生きる人々の姿を写真と映像で紹介しました。


第2部 活動報告:長森裕子氏
第2部はWFWPアフガニスタン派遣員の長森裕子氏より、「アフガニスタンの女性の自立と生きがい」というテーマで1994年から行っている支援プロジェクトについての報告がありました。
【WFWPアフガニスタン支援プロジェクトの歴史】
1994年~ | 第1次インドでの支援 「アフガン難民の子どものための母国語教室開校」 |
1995~1996年 | 第1次アフガニスタンでの支援 「クリニック開設準備、病院へ毛布寄贈 等」 |
1996年 | タリバン侵攻により、国内プロジェクトを全て中断し国外へ退去 再びインドへ |
1996~2005年 | 第1次インドでの支援 「母国語教室継続とインドの学校のアフガンの子どものための里親奨学金支援」 |
2002~2017年 | 第2次アフガニスタンでの支援「学校図書室支援、女性の経済自立支援 等」 |
2018~2021年 | 第2次インドでの支援 「アフガン難民の女性に洋裁技術就学のための奨学金支援」 |
長森派遣員は、WFWPの支援を継続する中で、アフガニスタンの女性たちは「厳しい環境下でも、経済的に自立をして夫や子供の助けになることで、やりがいや生きがいを感じることができた」との報告がありました。
また、洋裁技術専門学校の卒業生の中から、支援プロジェクトの通訳兼アシスタントとして働いてくれる女性が出てきたそうです。
今後の活動として、人格教育やスタディーツアーなどを検討しています。
WFWPは、アフガニスタンの情勢により、プロジェクトの中断やアフガニスタンとインドの入出国を繰り返しながら、支援プロジェクトを継続してきました。それはアフガニスタンを思う支援者の皆様がご尽力下さったおかげだと、長森派遣員は感謝の意で講演を締めくくりました。
参加者は、お二人の講演に熱心に耳を傾け、感動の拍手を送りました。


参加者の感想
メディアによる報道で私達は真実を知らずに、または歪んで捉えがちになっていると知りました。アフガニスタンの食事など日常の様子も知ることができ、興味深く聴くことができました。子どもの写真は胸を打ちます。瀕死の子どもの写真は紛争の大きな弊害であり、こんなことがあってはならないと痛感させられました。
久保田氏の講演は、平和ボケしている私にとって衝撃的でした。借金をしてでも目の前の人を助けたいという思いに感動しました。支援を依頼しても、メディアに取り上げられないからという理由で断る団体も多いという内容に驚きと矛盾も感じました。そんな中でWFWPの活動は、改めてすごい活動だと感じました。長森さんの活動報告の中で、アフガニスタンに入国出来ない中でのインドにおけるコツコツ積み重ねの活動をされたことに、ただただ頭が下がりました。最後、支援連合会や支援者に対する感謝の涙にまた感動しました。貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
派遣員の活動報告がとても心に伝わりました。捨て身で派遣国へ行き、真心込めて活動を続けているその思い、情熱が本当にひしひしと伝わってきました。声を詰まらせた時には私も泣きそうになりました。今、私たちは何をすればいいのか考えさせられました。